生きるって?
生きるって、痛みや感情がある。
これは、この世の事であって、あの世ではどうなのかわからない。
私の生まれた時代には「虐待」なんて言葉はなかった。全て親から先生から殴られた事は「躾」と言う言葉で片付けられた。
私のネット友達に、両親を憎んでいた人がいます。彼女は、父親から酷い暴力を受け、母親は見てみぬ振りをしていた。既に両親は亡くなっている。
彼女は「絶対に許さない!許せない!」と特に父親の事を憎んでいた。でも必ず最後には「そんな人だったけど、親なのよね…」そう言っていた。私には母親が居ないから理想や想像でしか語れないけど、「親」と認識している彼女にホッとしていた。
「いつか許せる時が来るよ。たとえその時が来なくても、許せない自分は許してあげよう…」私はそれしか言えなかった。
彼女も私もここには記せない暴力を親から受けていた。それが、同じ様な暴力かは分からない。ただ私は既にそんな父親を許している。それより何より「父子家庭」というだけで酷い差別や虐めを受けてきた。その中で私達姉妹を育てなくてはならない父親のプレッシャーや面子、責任や意地を考えると許せた。短気で頑固で厳格な父親だったけど、楽しい思い出や教えは沢山あって、感謝しきれないくらい感謝している。その思いは、自立して上京した時に手紙で伝えた。当時携帯電話なんて無かったし、一生残る手紙の方がいい!、と私自身が思った事。
亡くなった父親の部屋の掃除をしていたら、私の手紙だけが別の引き出しに入れてあって号泣した。
話を戻します。
その彼女の母親にある日電話がかかった。出産の知らせだった。だが、電話には誰も出ない。彼女は心に大きな傷をまた受けてしまった。「出産もお祝いの言葉すら述べてくれないの?!」
暫くして真相が明らかになった。母親は緑内障で全盲になってしまい、電話のなる方へ行っても電話がはっきり何処にあるか分からず出たくても出れなかった。
彼女がその話を聞いた時には勿論、孫の顔も見えない母親。彼女は号泣した。
「ごめんね。何も知らなくて、、ごめんね」
暫くして、母親は亡くなった。そして今度は入院している父親の元へ行こうとした時、父親は母親の後を追うように亡くなってしまった。
彼女が暴力を受けながらも安心できる場所は、家の押し入れの中だった。真っ暗な押し入れに入ると安心しきっていたのだろう。
彼女はそれから暫くの間育児に専念した。お金が無いから水商売をしながら。
長い年月が過ぎ、育児もあと一人…と思っていた矢先に、子は病を持ってしまった。
恐らく生涯付き合わなくてはならない病だと思う。彼女はショックと悲しみを深く受け、自身を相当攻めた。攻める必要等無いのに、反省と共に攻めた。その後…
「両親の事はもう、許せるよ…」
彼女は両親を喪って初めて口にした。
私は、それでもいいと思った。
きっと両親に思いは届いてるだろう…とも思えた。
これは、実話です。
時代は昭和なので「時代が違う!」「世代が違う!」と簡単に述べれますか?
思考や思いは人それぞれ…確かにそうです。
が、育ててくれた両親や親の苦労をそんな簡単な言葉で片付けないで欲しい。
命はひとつしかありません。
それは、あなただけの命では無いのです。自分だけのものではなく、世に関わった方々のものでもあるのです。
鬱病の私が言うのも変ですが、今私は、夫と実姉の為なら生きれます。
もしあなたが、両親を憎んだりしているのなら、いい思い出や記憶を冷静に思い出してみてください。今、自立独立して幸せかどうか?楽しいかどうか?ほんの少しでも思いがあればそれは、過去の全てがあるから今があるのです。コンマ何秒の差で物事は変わります。そのズレがあったりなかったりした過去が今のあなたを支えているのかもしれません。
亡くなってしまってからは伝える事が出来ても返事を聞く事は出来ません。
返事があるのとないのとは大きく違います。
読んでくださって、有り難うございます